美しい国

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これが私の最後の朝になる。
私はマンションの屋上で、その濃密な朝を吸いこんだ。見ることが叶わなかった地中海や大気圏の向こうを思う。
最後の食事を終えて表に出ると、暴走自転車が私めがけて突っこんでくる。一台、二台、三台とかわしたあとで、私は自分の赤い服を呪った。乾いた舌打ちが闘牛場のエントランスに響く。
ここは群馬県にある闘牛の町。私は借金返済のためにこの身を売った。
沿道には闘牛場を取り囲む城壁のような客席があり、本番がはじまる夕暮れまでは誰も寄りつかない。今は遺跡のような静寂がある。
私はこの町で生まれ育ち、この町で子を産んだ。国は膨大な借金を一部の国民に負わせることを命じた。
囚われているのは牛だけではない。私は選ばれたのだ。もうそのことを悲しいとは思わない。
闘牛場はこの冬で閉鎖される。
跡地には巨大なケーキ工場の建設が決まっている。
未来の甘い風を信じて、私は、ただ一枚の布になる。
公開:19/11/13 11:20
更新:19/11/13 17:54

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