貫く棒の如きもの

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 去年今年貫く棒のごときもの
 この虚子の句を鎌倉駅で見て、川端康成は衝撃を受けたそうだが僕はちっとも驚かなかった。僕はその「棒」を毎日、台所や玄関や病院で見ていたからだ。
 虚子は客観写生を確立し花鳥諷詠をその旨とした。だからこの句は抽象ではないし、主観でもない。
 川端はこの「棒」を恐れ、こんな句を作る虚子を恐れた。(彼は理解したくないものを賞賛する癖がある -私見)
 彼の末期の眼は、虚子が「棒」と喩えたモノを直視できなかった。それは「時間」というには重厚すぎ「魂」というには禍々しすぎたからだ。
 僕にとってその「棒」とは、会社を往復する父の背であり、毎日炊事をする母の胸であり、人工呼吸器につながれた祖父の息だ。
 棒とは連綿と続く人の営みそのものであり、肉体であり、骨なのだ。虚子にとっては端的に「子規」といってもよい。
 それを「棒のごときもの」と客観写生した虚子を、僕は好かない。
ファンタジー
公開:19/12/31 16:39
更新:19/12/31 16:53
年越し 批評風 なんかスイマセン

新出既出20( 浜松市 )

新出既出です。
twitterアカウントでログインしておりましたが、2019年末から2020年年初まで、一時的に使えなくなったため、急遽アカウント登録をいたしました。過去作は削除してはおりませんので、トップページの検索窓で「新出既出」と検索していただければ幸いです。新出既出のほうもときおり確認したり、新作を挙げたりします。どちらも何卒よろしくお願いいたします。
自己紹介:「不思議」なことが好きです。

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