春に落としたもの

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「落としものですよ」
花見がてら公園を散歩していたら、見知らぬ女の人に声をかけられた。僕は手ぶらで、辺りを見回しても何も落ちてはいない。
「僕は何も…」
「私のこと忘れたでしょ」
僕はその人の顔を見ても誰なのかわからなかった。とても綺麗な人だから照れくさかったけれど、何度もいろんな角度から見た。
「ごめんなさい…」
「さっき私の記憶を落としてた」
「え?」
「だからもう思い出せないの」
僕は記憶を必死に探したけれど何も思い出せない。
「じゃあ返してよ。僕の記憶」
「もう、私だけの記憶」
「返してよ」
「これでいいの」
その人はやさしく笑って、それできっぱりと去っていった。
僕は胸の中を冷たいスプーンですくわれたみたいに、そこだけとても寂しかった。
翌日僕は結婚式をあげた。
友達の笑顔や家族の涙を見ていたら、昨日スプーンですくわれた場所にあたたかいものがあふれて、隣で妻が桜のように笑ってた。
公開:19/12/26 11:11

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