私のことは忘れて

　女が刺された。
　犯人は被害者の元恋人の男。現行犯逮捕された時は、かなり追い詰められた様子だった。

　男は「どうしても彼女の事が忘れられず、殺すしかないと思った」と語った。

　幸いにも軽傷で済んだ女は「私の事は忘れて、と何度も言ったのに」と目を伏せた。
　
　警察が男の部屋に捜査に入った時、テーブルの上には女からの手紙が広げられたままで、そこには丁寧な文字で「私の事は忘れて下さい」と書かれていた。

　その手紙と同じ封筒が、部屋の一か所に山積みになっていた。
　そして部屋のゴミ箱と、マンションの郵便受けにも溢れていた。
　同じ言葉が連なるFAX用紙が部屋中に散らばり、留守番電話の録音は同じ相手からの伝言でいっぱいだ。
　パソコンも同じメッセージで埋め尽くされている。
　そして男から押収したスマホの着信音も、未だに鳴り続けている。
　被害者の女からだった。

　「私の事は忘れて下さい」