天保軽羹饅頭譚異聞

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江戸時代、水野忠邦といえば天保の改革で有名であるが、その時期奇妙な風習が流行ったことが記録されている。知られざる事実として密かに語られることであるが、モリソン号の寄港によってある種のアメリカからの文化が日本にもたらされていた。

秋が深まるこの時期、農作物の収穫を祝い翌年の豊作を願う儀式。年少者を中心にして、鶴丸城を中心とした武家屋敷周辺で、当時は高価であった菓子をねだる習慣が伝えられた。

「取り憑っ、おい、取り入っど」

モリソン号が寄港したのが鹿児島だったことから薩摩方言の影響を受けることになったと言われている。

「このままじゃ悪霊に取り憑かれるぞ。私がそうするかららな。それが嫌なら軽羹(かるかん)饅頭を出せ」という意味のまじないのことばである。

10月末のこの時期、薩摩藩の領地を中心に、子どもたちの間に、このような奇妙な儀式が広がることになったのを知るものは少ない。
ファンタジー
公開:19/10/08 20:26
更新:19/11/26 19:20
108 オオカミの自信作 軽羹饅頭 ハロウィーン モリソン号

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