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私たちは、常に過ちを繰り返し、迷い、戸惑い、明日を生きていく。

その度に、息が苦しくなり、肝心な場面で緊張してしまい、仕舞いには、まだ見たことのない世界を信じたりする。

信仰が全てだと思っていた僧のように、明日の記憶が定かでなくなってしまえば、偶像すら現実に思えるのである。

私たちは、神様から命を授かり、大切に愛を育みなさいと教わったのに、それを粗末に扱い、挙げ句の果てには、天に供える代物として扱うようになった。

丁寧になぞった年輪が朽ち果てて、強く根を張ることは、今の時代では考えられない。
ましてや、私たちには大空を羽ばたく羽すらついていないのだから・・・

取り返しのつかない時間のねじれの中で、手の平に残るものが虚しさだけなら、それは皆無と同じである。
それなのに、我々人類は、皆無を称え、それを血肉と同様にとらえ、不安を募らせていくのである。
その他
公開:19/10/06 23:11

神代博志( グスク )









 

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