節目地蔵

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 材木商の天童弥吉という男が、節目だらけの材木は使い物にならんと薪にされてしまうのがどうにも不憫じゃと、不器用ながらも一生懸命に仏様を彫ったのだそうな。それは目鼻もない簡素なものだったけれど、像のそこいらじゅうにある節目のひとつひとつに、かわいいような、愛らしいような表情が表れていて、一つ、また一つと村の家々に飾られるようになっていった。
 節目だらけの仏様は、やがて節目地蔵と呼ばれるようになり、子供が生まれたり、田んぼがひと段落したり、祝言があったりという節目の時や、人生の節目になりそうな大切な事を決めるときやなんかに、お供えをして、拝むようになっていったそうな。
 ある日、村の厄介者が家々に押し入って「節目地蔵なんぞ出来損ないの木っ端じゃ」と鉈を振り回し、足で踏みつけにして回った。次の朝、その男は節目地蔵の節目が抜けた節穴に体を食いちぎられて死んでいた。
 あ。これは節穴地蔵の話じゃ。
その他
公開:19/10/05 16:22
更新:19/10/05 21:51

新出既出

星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。

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