KOKUIN

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コーヒーの熱で、眼鏡が白く曇る。私はそれを拭うことなく、眼下に広がるスクランブル交差点を見つめ、遠い記憶を辿っていた。
あの日、確かに私達はこの席に肩を並べて座っていたはずだった。カウンター席。彼はいつも私の右側に席をとる。私の利き手側を陣取ることで、有り余るサディズムを消化しているのだと彼は笑った。涙で滲む視界の先で、「今日でお別れだな」微笑む彼。「――またな」そっと髪に触れ、無駄な優しさと甘ったるいムスクの香りを残して、彼は私の元から去っていった。
5年の時が経ち、長い髪はもう切ってしまった。悪夢のような幸福な時間は終わったのだ。襟元に冷たさを感じながら、私は席を立つ。駅に向かい、スクランブル交差点を上っていく。信号を渡り終えようとしたその時、行き交う人波の中、鼻を刺すような甘い香りがして、思わず足を止める。顔を上げると、あの席にあの男が座り、こちらをじっと見下ろしていた…。
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公開:19/11/11 17:10
更新:19/11/11 17:14

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