少しだけ安いひと

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忘れられないひとがいる。
秋の空を、ただよう雲を、何時間でもながめて、それで飽きないひとだった。彼がこの部屋を出ていって一年が経つ。このベランダで、秋に背中を押されたように、彼は私に別れを告げた。
「今までありがとうございました」
感謝状みたいな彼の言葉が今も耳に残っている。
秋は食べ物がおいしいのに、今年の秋は何を食べてもつまらない。ただおいしいってだけ。今年もおいしいのだ。だから悲しくてたまらない。
見かねた友だちが、私に新しいひとを紹介してくれた。
あのひとと、うりふたつのひと。
顔も背丈も優しさも、ちょっとした仕草もそっくりで、私は混乱した。髪型も、服のセンスも猫舌も、秋が好きだということも。
ベランダで空をながめる彼。
なつかしい時間。
「いい空だなぁん」
語尾だけが、あのひとと違った。
友だちにそのことを話すと、
「彼、ジェネリックだから」
と、少しだけ安い理由を教えてくれた。
公開:19/10/10 09:35

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