ブローチの水底

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医者の見立ては、この月が峠だろうという事で、なら生まれ育った家へ帰してくれと頼んだ。
当然、施設の者は良い顔をしなかった。
妻に先立たれ、子も親族もおらず、ここの世話料を差し引いた後は、慈善団体へ寄付すると遺言書も作った。儂自身は一片の躊躇も無いが、保護責任者として、容認出来る頼みではないのだった。
儂の家は、村ごとダムの底に沈んでいた。
六十年以上も昔の話。家へ帰せとは、ダムへ放り込んでくれと頼むに等しい。耄碌の戯言と、まともに取り合ってもらえなかった。

月の末日、臨終の床で、儂は探した。
何か。何か証になるもの。仮初めでも、帰ったのだと己を納得させ得る何か。上がらない頭で、霞んだ視界で探せる場所は幾らも無かったが、漸く一つ見付けた。
妻の形見の、ブローチの翡翠。
僅かに斑を帯びた深い碧は、村の上を揺蕩う水の色。底に小さく、儂の家が眠っている。
滔々と流れが歌い、儂の意識を呑み込んだ。
ファンタジー
公開:19/06/28 23:23
アクセサリー・シリーズ⑥

創樹( 富山 )

創樹(もとき)と申します。
前職は花屋。現在は葬祭系の生花事業部に勤務の傍ら、物書き(もどき)をしております。
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ベリーショートショートマガジン『ベリショーズ』
Light・Vol.6~Vol.12執筆参加
他、note/monogatary/小説家になろう など投稿サイトに出没。

【直近の受賞歴】
第一回小鳥書房文学賞入賞。2022年6月アンソロジー出版
愛媛新聞超ショートショートコンテスト2022 特別賞受賞

いつも本当にありがとうございます!

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