例えば、プリンとしょうゆ

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 セロニアス・モンクが鍵盤にない音を鍵盤で表現し得たように、私は言葉にならない智慧を言葉で表現し得たと思う。
 まともなら、人間は言葉に意味を細分化しすぎているから、百万円を一円玉で払うのと同じだ。
 ピアノとは、空気を振動させる器具であるから神無月七日の降り続く雨の止み間に、スイートピーが咲きました。時計草は弟切草と鳳仙花との間に植えてあるはずでしたがこれは、概念でいうところの、「『プリンとしょうゆ』で「ウニ」現象」に例えることができる。
 言葉の「プリン」と「しょうゆ」とをいかように発しようが、並べようが、「うに」にはならないのでは? やはり音とは違うのだからと。
 だが、このことを試したことある人であれば、実は「ぷりんとしょうゆ」と聞けば、「うに」の味はすでに連想されるのである。
 存在しない音は振動の干渉によって生じ、「うに」は記憶の干渉によって生ずる。
 つまりそういうことだ。
公開:19/06/26 15:51
更新:19/06/26 15:51
書き出しだけ大賞 二期

新出既出

星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。

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