対岸へ

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そのホテルは湖畔にあって、敷地にある桟橋からは、対岸へ渡る船が出ている。
対岸に国はなく、言葉もない。それでも旅立つ者たちに、このホテルは最後の夜を提供している。
最後の、というのは、戻ってくる者がいないからだ。
兄はある罪を犯し、つぐない、今はこのホテルで支配人をしている。
私は夏の間だけここに来ては、ぼんやりと兄を好きでいる。暗いうちから桟橋に出て、釣れない釣りをしながら朝を待つ。
ぽんぽんぽんぽんと、霧深い湖面を蒸気船がゆく音が聴こえるけれど、それは幻聴で、私は自分が普通ではないことを確認する。
森には小さな恐竜がいて、湖畔に水を飲みにやってくる。かつてこの地は対岸と地続きで、恐竜はその名残りだ。
「対岸に素敵な恋はあるかなぁ」
私が言うと、兄は呆れて、
「あるんじゃねーの」
と簡単に言う。
「一緒に行こーよ」
「ばーか」
夏が終われば、私は行く。
今度こそやめる。
太古からの恋を。
公開:19/06/25 12:40
更新:19/06/25 13:56

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