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 帰宅すると妻の機嫌が悪かった。その原因は、食卓に置かれている葉書だった。
 その葉書は、学生時代に交際していた女性のお母さんからで、内容は、現在入院中の彼女が頻繁に錯乱し、俺の名前を呼び続ける。大勢に押さえつけられて注射を打たれるのを見ているのがつらい。迷惑なのは重々承知で、一度娘を見舞ってはもらえないだろうか。というものだった。
「どうするの?」
 妻が麻婆豆腐の皿をドンと置く。
「行かないよ」
「行きたいなら行けばいいじゃない」
「行かないよ」
 麻婆豆腐は激辛だった。

 翌週、俺は出張と偽って彼女を見舞った。お母さんは感謝してくれたが、彼女は変わり果てていて、俺が誰だか分からず仕舞いだった。
「お役に立てずすみません」
「いえ。来ていただきさえすれば、気も済みますから」

 帰宅すると、妻の機嫌がとても良かった。
 だが、その妻の顔は変わり果てていて、俺には誰だか分からなかった。
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公開:19/08/03 10:15

新出既出

星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。

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