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「ただならぬ夜だから」
枝垂れ桜が満開をむかえた夜、島に唯一の寺から通報があった。私が島の駐在所に赴任してこれがはじめての出動要請だ。日報を読む限りこの5年間に出動したのは一度だけで、それも同じ寺からの要請だった。当時の日報には本尊の家出とあるが詳細はわからない。
仏像が出てゆくというのなら、私に止められるとは思えないけれど、まずは現場に向かうしかないだろう。ハンカチと拳銃は持った。妻には先に寝るように言った。今夜寺の住職は宗派の会合のために不在だと聞いている。
では誰が電話をしてきたのだろう。寺には住職がひとりで暮らしているはずだ。
高台に続く参道を登ると、阿弥陀堂の障子戸にろうそくの灯りがぼんやりと見えて、風に揺れる枝垂れ桜は月明かりと寂しさを競うかのように美しい。
庭先には小さな宴のあとがある。
お堂に阿弥陀さまの姿はない。
ただならぬ。風の中にそんな呟きが聴こえて、私は振り返った。
公開:19/03/27 14:43

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