蜩の春(ひぐらしのはる)

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長くなった春の陽が暮れ、温い夜の帳が降りた頃。
鍵盤を叩く手を止めた隙間に、それは聞こえる様だった。
カナカナと歌う様に、コロコロと誘う様に、水辺から湧き立ち、緑萌える庭を埋めてゆく蜩の声。まだ二季は早かろうに。不可思議な物淋しさを懐かしく想い、片方で古傷が疼く。

妻が居なくなった日も、蜩は雨垂れの如く、黄昏の庭へ注いでいた。激しい喧嘩をした後、掻き消す様に行方知れずになった。今日戻るか、明日戻るかと日捲りを数え、数え飽きて待たなくなったのは、丁度こんな、桜の綻びそうな春の宵だった。

『叶々』と希う様に、『頃々』と待ち侘びる様に、時外れの蜩が呼ぶ。堪らなくなって朔夜の庭に踏み出すと、蜩は息を潜めた。
目を凝らし、仄かに辿る闇奥で、せせらぎに背を光らせ、灰茶けた蛙が奏でた。あぁ河鹿蛙かと知り、興の失せて返した足を引かれた。

水音は思いの外に小さく、流れを掻いて浮かんだ喉が、蜩を鳴いた。
ファンタジー
公開:19/03/20 22:35
河鹿蛙(カジカガエル)の声と 蜩の声は似ている……

創樹( 富山 )

創樹(もとき)と申します。
前職は花屋。現在は葬祭系の生花事業部に勤務の傍ら、物書き(もどき)をしております。
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ベリーショートショートマガジン『ベリショーズ』
Light・Vol.6~Vol.12執筆参加
他、note/monogatary/小説家になろう など投稿サイトに出没。

【直近の受賞歴】
第一回小鳥書房文学賞入賞。2022年6月アンソロジー出版
愛媛新聞超ショートショートコンテスト2022 特別賞受賞

いつも本当にありがとうございます!

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