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「春盛り天丼か」
刑務所を出たばかりの私が足を止めたのはてんぷら屋だった。
甘いタレと油のにおいが嬉しくて、看板の前で動けなくなった。
食べたい。
店内に入ると私は息をのんだ。
天井を覆うほどの桜が満開に咲いていて、若い娘さんが笑顔で迎えてくれたからだ。
「いらっしゃい」
強張っていた身体がほぐれてゆくのを感じて、私は言葉が出なかった。
すると娘さんは、
「新しい音が発見されたの」
そんなことを言う。
「ファとソのあいだに」
今日のトップニュースらしい。
店内のテレビには知らないひとばかりが映っている。
私は春盛り天丼を頼んだ。
娘さんは注文を通すと、ドレミファを口ずさんで、
「あいだなんてあるかな?」
と笑った。
「ないね」
そう私が言うと、
「ですよねー」
と嬉しそうだ。
私は心が浮きあがるような気持ちになった。
私にも娘がいる。
春野菜のてんぷらは少しにがくて、私は自分の涙に驚いた。
公開:19/03/20 11:44

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