伊東温泉にて(フィクション)

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 梅祭りの後、伊東温泉に宿泊する。初島にむかう二本の突堤を見ながら、妻はドクターフィッシュに足をつつかせている。
 私は一足先に、四階の客室露天風呂に浸かって相模湾を一望する。網代、江ノ島、城ケ崎、館山の急峻な岬は段々に霞み、その向こうに丹沢や奥多摩の雪嶺がわずかに覗く。途切れなく滴る湯の音に、大小の波音が重なってなんともよい心持だ。
 夢見心地で湯船に浸かっていると、よしずの向こうから「お時間です」と声がかかる。間もなく和懐石の夕食が始まる17時だった。
「そうか」と立ち上がると、海風に当たって頭がはっきりとした。
「誰だ」と問うと波音が乱れて、よしずの影から、中年のランニングシャツ姿の男が、小豆をいれたザルを持って現れた。聞けば8時から5時まで波の音を担当しているという。
 私は時間を教えてもらった礼を言い、「妻が入る時は目を閉じているよう夜勤担当者に伝えよ」と釘をさして、部屋を出た。
その他
公開:19/03/09 15:29
更新:19/03/09 17:48

新出既出

星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。

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