専務はなにも。

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「専務はなにもせんむ」
男が何故そんな言葉を残して息をひきとったのか私にはわからない。
男がコメディアンで私はその娘、という状況ならそれもいい。彼をよく知る人ならその言葉の理由やおもしろさがわかるのかもしれない。でも私はちがう。私は通りかかって介抱したにすぎない。見たこともない男が目の前で倒れて、とっさに駆け寄った私の腕の中で言葉を残し意識を失った。
私は付き添って救急車に乗り、いや乗ってしまい、そこで最期の時を共にした。
専務はなにも…。
誰かにこの言葉を届けるべきだろうか。軽々しく口にしてはいけない意味がこめられているのだろうか。
私は諦めずに救命処置を続ける救急隊員にその言葉を告げた。
それは厳しい冬の朝もやの中、湖畔の能舞台で舞う鬼の形相だった。私じゃない!湖面の冷たい風が私の胸に吹きこんで息が止まりそうだ。
気がつけば私は心停止した男の上に跨っていた。
生きて!
そして教えて!
公開:19/04/07 10:52

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