レモンミスト

2
9

ちはるさんは渡り鳥のような人だ。
秋の終わりに現れて、春になればいなくなる。
シチリア生まれのちはるさんはレモン皮のコートで街を颯爽と歩く。
街が爽やかな笑顔であふれるのは、ちはるさんが街の人たちの寂しさを食べているからだ。冬のあいだおなかいっぱいに人の寂しさを食べて、春一番の風で去ってゆく。
夏が過ぎると人は寂しくなったりするけれど、それはちはるさんを迎える準備のようなものだ。

もうすぐ冬が終わる。
私はとても寂しくて夜にちはるさんを訪ねた。
ちはるさんは屋根の上で旅立ちの準備をしていた。
「行かないで」
私が言うと、ちはるさんはにっこりと笑って私の寂しさを食べた。
夜が明けて、群青の空にあたたかい南風が吹くと、ちはるさんは屋根を翔び立った。
「またね」
別れの空でちはるさんはおまじないみたいにレモンピールをひねった。
朝焼けの地上はレモンの霧に包まれて、街はすっきりと春を迎えた。
公開:19/02/20 11:02
更新:19/02/21 10:53

コメント投稿フォーム

違反報告連絡フォーム


お名前

違反の内容