証 (あかし)

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 ある貧しい音楽家が、せまく暗い一室でくたびれたギターを抱きかかえ、じっと目を閉じている。遠くからいずれ訪れてくるはずの霊感を待っているのだ。

 彼は老いに疲れ、そして焦っていた。なんとしても、自らの生きた証になるような作品を遺さねば。

 しかし、ああ、彼には想像ができなかったのだ。うるわしき霊感を与え、証の保存も引き受けてくれるであろうこの世界からして、自身の存在した証を遺したいと苛立っており、一隅の粒のような願いなど気にも留めていないことを。

 そしてこの世界からして、想像ができていなかった。自らの渇望するきらびやかな夢など、やはり限りなく微細な粒でしかないと。

 なにせ世界の周りにはとてつもなく広々とした虚無があり、その広大さときたら、音楽家の胸の内を占める徒労感と同じほどなのだ。

 ーー私の人生は無駄であった。

 音楽家はつぶやいた。目を開けると、貧しさがあった。
その他
公開:18/09/09 21:29

Miki Kukiri

○『てくてくひめじ』というサイトが好きで、しばしば見ています。 

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