136. 稚内の上にも三年

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昭和18年我が家の食いぶちを減らすため静岡の家から北海道の親戚の家に行かされた。7人兄弟の四男だから仕方のないことだったがまだ15で中学を出たばかりだった。稚内の親戚は父の二つ上の兄にあたる叔父の家だった。叔父には娘が二人いたが息子は居なかったので僕が行くととても喜んでくれた。高校にも行かせてくれた。しかし僕が肺炎を患った上に義理の姉たちの着替えをうっかり見てしまってからは皆の態度が一変した。出来る限り家事も手伝ったがもはや僕の居場所は無かった。毎日食事は僕一人でだった。高校にも友達はおらず話し相手と言えば通学路で見る花や小さな虫たちだった。僕は勉学に勤しむことで孤独を忘れようとした。昭和20年戦争は激化したが幸い稚内は敵襲を受けることなく8月に終戦した。僕は翌春高校を卒業する年に、貯めていた小遣いで関東の大学を受験し合格したのでこの家を出た。
稚内の上にも三年、僕の人生はこれから花開く。
その他
公開:18/11/15 09:00
更新:19/02/26 02:14
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ことのは もも。( 日本 関東 )

日本語が好き♡
18歳の頃から時々文章を書いています。
短い物語が好きです。
どれかひとつでも誰かの心に届きます様に☆
感想はいつでもお待ちしています!
宜しくお願い致します。

こちらでは2018年5月から書き始めて、2020年11月の時点で300作になりました。
これからもゆっくりですが、コツコツと書いていきたいと思います(*^^*)

2019年 プチコン新生活優秀賞受賞
2020年 DJ MARUKOME読めるカレー大賞特別賞受賞
2021年 ベルモニー縁コンテスト 入選

 

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