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品種改良を続けていくうちに、原種が消えてしまう植物がある。
だからこそ、私は野山に、自然のばらを探しに歩いた。
野ばらはまだ世界中にあるとはいえ、目を向けられているのは園芸種だけだ。花の小さな原種は、雑草のような扱いを受けている。
「これも淘汰の結果だ」
「競争の行く末だ」
と言われたらその通りかもしれないが、消えゆくものへの郷愁に誘われるのも事実。
だから私は、自然のばらを残すために、ばらの絵を残した。草原に腰を下ろし、目に映る印象そのままを、生きた野ばらの伸びやかな姿を、絵に残した。
写真が全盛のこの時代に、絵画という表現方法がいつまで残るのかは分からないが。
ある意味、絵画はばらの原種と同じなのかもしれない。
この私自身が、郷愁なのかもしれない。
だからこそ、私は野山に、自然のばらを探しに歩いた。
野ばらはまだ世界中にあるとはいえ、目を向けられているのは園芸種だけだ。花の小さな原種は、雑草のような扱いを受けている。
「これも淘汰の結果だ」
「競争の行く末だ」
と言われたらその通りかもしれないが、消えゆくものへの郷愁に誘われるのも事実。
だから私は、自然のばらを残すために、ばらの絵を残した。草原に腰を下ろし、目に映る印象そのままを、生きた野ばらの伸びやかな姿を、絵に残した。
写真が全盛のこの時代に、絵画という表現方法がいつまで残るのかは分からないが。
ある意味、絵画はばらの原種と同じなのかもしれない。
この私自身が、郷愁なのかもしれない。
その他
公開:26/05/20 10:49
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齊藤 想