秘湯の山

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 ―なりゆきに任せて、いけるところまでいってみるのも悪くは無い。
 木々のざわめきが濃淡となって月の明かりを暈している。その明かりの切れ端が、女から始まる波紋に砕けて、幾重にも取り囲んだ。長くて、しなやかな何かが、辺りを走り抜けた。そろそろ夫が戻る時間だった。あの、遠い遠い家に。
 湯は滑らかで、山の夜を溶かし込んだかのように黒々と湯船を満たしていたが、掬ってみると無色透明だった。湯を掬うと闇が揺れ、突如として掌が、透明な湯を湛えて現れた。女はそんなことがおもしろく、何度か繰り返していたが、やがて指輪の跡が、湯の中でもぼうっと光って見えることに気づいて、止めた。

 ―別に何の不満もなかった。でもいつだって不安だった。

 女は、岩風呂の縁に持たれて、ゆったりと目を閉じた。かすかに川の流れが聞こえてきた。
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公開:18/08/26 14:29

新出既出

星新一さんのようにかっちりと書く素養に乏しく、
川端康成さんの「掌の小説」のように書ければと思うので、
ショートショートとはズレているのかもしれないです。
オチ、どんでん返し、胸のすく結末。はありません。
400文字、おつきあいいただければ幸いです。

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