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 かつて祖父と二人で暮らしたこの家には、いまもって面影が残っていた。大切にしていた絵画、老眼鏡、書屋への扉――。
 そのすべてを置き去りにしたまま、祖父は韜晦した。
 独りきりの夕餉、耳慣れたいびきの聞こえない小夜。そんなとき、いつも彼が語りかけてくれた。
 私は、震える声を隠して告げた。
「ここを売ろうと思うの」
 彼――在家とマルメロの木々が描かれた絵画は、落ち着いた声色で言った。
「そうか」
「そう、だからあなたのことも……」
 言いさした私を、彼が遮った。
「いいんだよ」
 背中を押す、柔和な声音。
 私は重い腕を持ち上げて、額縁に手をかける。それは、軽い音を立ててあっけなく外れた。
 彼がいた場所には、四辺形の大きな穴があった。覗き込むとそこには四帖ほどの小部屋があり、部屋の中央に揺り椅子がぽつりと置かれている。
 そこに座る人影――懐かしい瞳子が、抜け落ちた前歯を見せて笑った。
その他
公開:18/08/19 19:54
北オーストリアの農家

青木ウミネコ( 東京都 )

二十代半ば、会社員のかたわら執筆しています。
まだ拙い部分もありますが、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。

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