誰かの海

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夜、木々の間を彷徨っていると、海などない筈なのに波の音が響いた。
音を頼りに歩くと、どこか懐かしい感じのする廃屋があった。
黒くくすんだ板壁に耳を近付ける。壁越しに打ち寄せた波が砕け、砂の粒子が散っている。それが延々と繰り返される。
恐る恐る引戸に手をかけると、扉が独りでに勢いよく開かれた。

「あらっ誠司くんじゃなぁい」
淡い白熱灯の光でおばさんの姿が浮かび上がる。
「覚えてない?昔隣に住んでたのに。おしめだって変えてたんだから」
動けずにいる僕を強引に招き入れ、暖かい湯呑みを手渡すこの女性は誰だろう。

「そういえば、波の音が聞こえたんですが…」
「ああ、これのことね?」
彼女は大きく口を開けると大量に水を吐き出し、たちまち部屋を一杯にした。浮力で体が浮き上がり、足がつかなくなる。
「これは私の海。私の思い出なの。誠司くん、あの頃のまんまね」
落とした湯呑みが力なく漂っている。
その他
公開:18/05/01 22:06

ばぐすけ( osakaaa )

おひまつぶしに

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