もの忘れの季節

1
125

ビルの屋上で涼んでいると、昔付き合っていた彼女があらわれた。
目には涙をため、今にも泣き出しそうだ。

「K子と別れなきゃ、ここから飛び降りて死んじゃうんだから!」
またか──とおれは思った。
「いやいや、K子とはとっくの昔に別れたよね」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
今にも泣き出しそうだった顔は、すでに晴れやかだ。
「じゃあ結婚して!」
「そのあと君の両親に会って婚約したよね」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
こいつは昔からもの忘れがとんでもなくひどい。
「で、そのあと有頂天になった君は、道路に飛び出してトラックにはねられた」
「え?」
「だからもう君は、10年前に死んでるよ」
キョトンとした顔が納得の表情へと変わる。
「ああ、そうだったね。また忘れちゃったね。ゴメン⋯⋯」
満面の笑みを残したまま、彼女は夜の闇へ消えた。

おれは星に願う。
また来年も、すべて忘れて会いに来いよな──。
その他
公開:18/04/26 16:06
更新:18/09/17 15:35

渋谷獏( 東京 )

(੭∴ω∴)੭ 渋谷獏(しぶたに・ばく)と申します。 小説・漫画・写真・画集などを制作し、Amazonで電子書籍として販売しています。ショートショートマガジン『ベリショーズ』の編集とデザイン担当。
https://twitter.com/ShaTapirus
https://www.instagram.com/tapirus_sha/
http://tapirus-sha.com/

コメント投稿フォーム

違反報告連絡フォーム


お名前

違反の内容