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「海が見たい」
 ずっと病室から出られなかった娘が突然そんなことを言いだした。
 裸足になり浜辺で波と戯れる娘が、はじけた波の雫を手のひらで受け止め、そっと口を付ける。
「しょっぱい!」
 娘は顔をしかめて舌を出す。
「馬鹿ね」
 持ってきたペットボトルの水を差しだしたが娘はそれを受け取らず、頭から海に飛び込んだ。
「何やってるの!」
 私は靴のまま海に入り、娘の手を引いて抱き起し、ハンカチで彼女の濡れた髪を拭う。
「海って、お母さんの味がする。しょっぱいけど、やさしい味」
 涙は海と同じ成分でできているという。
「きっと子を思う母の涙がたくさん集まって海ができたのね」
 二人して海から上がると、娘は言った。
「波が戻れって言っているような気がするの」
 もう一度海の方を振り返ってから、娘は待っている車に向かって歩き出した。
 打ち寄せる波が私たちの背中を押してくれている気がした。
 
その他
公開:18/05/31 21:17

ToshijiKawagoe( 北海道 )

・『SFマガジン』 2011年10月号「リーダーズ・ストーリィ」 掲載
・『公募ガイド』第22回小説の虎の穴、佳作
・ 樹立社ショートショートコンテスト2012、5等星
・ 第157回コバルト短編小説新人賞、もう一歩の作品
など、SF、ミステリ、童話、純文学など分野を問わず、ショートショートから短編、長編にとチャレンジしてきました。
 しばらくご無沙汰していましたが、最近復活しました。

ブログ http://rashi.cocolog-nifty.com/
 

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